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MCがいつ成立したのかは定かではないが、第二次世界大戦前には、いくつかのMCと呼べる形態のクラブはあったものの、バイクはまだまだ高額な製品であったので、多くのクラブは、比較的裕福な階層を中心とした「ライディングクラブ」や「ツーリングクラブ」、「レーシングクラブ」などの愛好者の集まる同好会が中心であった。
現在のようなMCは、第二次世界大戦の終結後、復員してきた退役軍人を中心として多くのクラブが結成され、それらのクラブが現在のMCの原型になっている。それらのクラブでは、戦後に大量に払い下げとなり安く調達出来た軍用のハーレーダビッドソンをカスタムして乗る事が多く、退役軍人の愛国的精神と相まって、MCの多くはハーレーダビッドソンを愛好する事になった。
第二次世界大戦の集結から間もない1950年に朝鮮戦争が始まり、1953年の停戦後に、復員した退役軍人によりさらに多くのクラブが結成された。その頃のクラブはあくまで白人だけが所属出来るかなり保守的な組織であり、有色人種が参加出来るクラブは、ヒッピー文化の影響を受けた1970年頃からの事である。
その後、インドシナ紛争へのアメリカの介入と1964年からの本格的軍事介入の開始によりベトナム戦争が始まり、戦争に反対するヒッピームーブメントからの文化的な影響を受けて、長髪、髭、TATOO,カットオフの着用などの現在のバイカースタイルが形成されて行った。多くの主要なMCは、朝鮮戦争からベトナム戦争の行われていた時期に復員軍人を中心に結成され、現在に至っている。
1975年のサイゴン陥落によるベトナム戦争の終決により、さらに多くの兵士が帰国して復員軍人となったが、貧困層の出身の復員軍人の多くは職を得ることが難しく、多くのクラブが戦中のヒッピー的な自由を求めるクラブから、次第に違法ビジネスを生業とするアウトロークラブに変貌していった。
アメリカでは、形式上は南北戦争後の1870年に黒人の参政権が認められていたが、実際には多くの州では州法によって黒人の参政権は認められておらず、1965年公民権法の成立によって黒人の参政権が認められた以後も、黒人を始め有色人種への差別は続いている。
もともと、白人至上主義的な性格を持つ多くのMCに、有色人種のメンバーが加入することは出来ないため、それらのMCに反発したヒスパニック系やアジア系、アフリカ系のMCが1970年前後から次第に結成され始めて現在に至っている。
日本では、第二次世界大戦の敗戦以後、復員兵などを中心としたカミナリ族が出現したが、クラブとして成立されていたのは少数で、多くはゆるやかなつながりを持った飛ばし屋の集団であった。
ハーレーダビッドソンは1960年までは日本には輸入が正式には許可されていず、1990年代の初頭でも全国での登録台数は3万台以下であった。実際1970年代にはハーレーの価格は、国産の大型バイクの10倍以上の高価格だったため、多くのハーレーオーナーは高額所得者であり、彼らは豪華に飾り立てたハーレーに乗って、パレードなどの活動を主体とするクラブを結成していた。
日本で現在のようなMCが結成されていったのは1980年代以降で、多くは1990年代になってバイカー系の雑誌が創刊され始めてからの事である。それまでの国内でのハーレー系のクラブの多くは、米軍の軍人と軍属、その家族などの在留軍人が主体で、本国のMCの所属とは別に、所属する部隊や基地ごとに現地の同好会として活動している事が多かった。また、基地ごとのMCが幾つか結成されたのもこの時期である。
1990年代に入り、それまでBMWとハーレーダビッドソンを販売していた販社のバルコムトレーディングから、ディーラー組織がハーレーダビッドソンジャパンに移行することになり、本格的にハーレーダビッドソンの国内販売が開始された事により価格も次第に低下し、それまでの医師や建設業オーナーなどによるいわゆる「金持ちクラブ」中心から、次第に建設労働者、運輸関係者、自営業者なども多く参加する現在のMCが結成されるようになってきた。
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